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誰かの声が聞こえるんだ。君の名前を教えて?・・・よく聞こえないな、もっと僕のそばに来ておくれよ。もっと話をしよう。さぁ、おいで。姿を見せて。
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04.27.09:03

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  • 04/27/09:03

06.07.23:40

「怒りも恨みも 全部飲み込んで」

生きるってなんだ?
死ぬって、なんだ?
友達って、なんだ?
目のそばは痺れるのに、出ようとするものは出てこない。
体の真ん中が熱いのに、過剰な反応は抑圧される。

心はどこにあるのか、誰もがきっと一度は尋ねるだろう。
僕は、僕の心がどこにあるのかなら言える。こんなにも、痛い。熱い。

希望を持とうとするならば、否定の言葉と最期の想像を持っちゃいけない。
マイナスの世界こそが安楽だと、僕は否定しない。世界は何もかも下向きが楽なんだ。
どうせ。でも。だって。自分なんか。できるわけない。アイツだって。結局。
怒りや恨みにまかせて、感情のままに人を傷つけて、毒を吐いて。

どうしてこの世界は誰かを攻撃する方が楽になるように出来ているんだろう。
どうしてこの世界は落ちていく方が楽になるように出来ているんだろう。

そうではないんだよ、と。誰が教えてくれただろう。
そうではないんだよ、と。どうして誰も教えてはくれないのだろう。

悲しいかな、誰も知らないのかもしれない。
悲しいかな、教えてくれた人がいたとしても、その人の声だけが聞こえないのかもしれない。

ねぇ、どうして大人はみんな子どものころを忘れてしまったの?
どうして大人は「オトナ」じゃなきゃいけないの?
「オトナ」と「コドモ」は、違う生き物なの?
同じ人間なのに。同じ、イキモノなのに・・・。

子どもが大人になったようなオトナに育てられた。
一緒にすごした記憶なんかほとんどない。でも、彼の教育の一つに僕は賛成する。
「叱るときに、お前が子どもだった時のことを思い出してみろ」
僕が言われた言葉じゃないけど、僕がもしも彼と似た立場になったなら思い出すことにしよう。

どうしてこの世界は何かを守る方が難しくなるように出来ているんだろう。
どうしてこの世界は何かを守ろうとした時に信じがたいほどの力をくれるんだろう。


「前向きに生きろ」と大勢が言っても、「前を向く方法」はその中の誰も教えてはくれない。
「前向きに生きろ」という大勢の中で、どれだけの人が前を向いて生きているのだろう。

人間、ホントは前を向くだけじゃだめなんだ。上を向きたい。前にあるのはただの平行線なんだ。

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06.05.22:29

数年ぶりの、

風邪!引いた!でも熱と喉の痛みだけなんだ!

たまには話したいなあぁ。夢枕だけじゃなくてさ。話す話題もないんだけど。

あ、携帯充電してない。

同じ病院に、家族3人とも同じに日にかかる。

明日の昼前に熱下がってればおk。その後はどうにでも。

出来るだけ薬飲みたくないな@現在38.8℃。

ピアノが聞きたいな。とりあえず打ち込みピアノを聞いてみる。

久々の風邪に、なぜか心はうきうきしてる。なんか楽しい。どこまで上がるかな。9℃まで行くかなwkwk。

3時間寝たあとにご飯食べて薬飲んで、また眠れるかい、って聞かれたらどうだろう。
とりあえず昨日一晩はなぜか口蹄疫の夢でうなされてた。何で口蹄疫。

簡単な本を読みながら布団に転がりたい。ツァラトゥストラは難しすぎる。逆に知恵熱のヨカン。

心が弱ってないだけ、いいよね。心まで弱ったら、目も当てられねぇ。
病は気からって信じるわけでも・・・まぁなり得るけど、体は重いけど、仕事は出来るようだ。少なくとも今のならね。

TWルグラン鯖の夢売り行き損ねたギリギリ・・・!!
起きたの21時過ぎてたよちくしょう!明日は行きたいんだから・・・!!

あ、そういえばミスリル原石落ちた(∩´∀`)∩ワーイ

言葉、捜さなきゃ。何を探せばいいんだっけ。そこがわかんなくなって(´ε`;)ウーン…。
「何が分からないのかが分からない」というのが一番難しい。

誰かとお酒飲みたいにゃー。
最近語尾の口癖が「にゃー」になってる罠。萌を狙っているわけではなくてね。。。
ただ単に、言葉遣いが妙なだけなんだよね・・・。俺の言葉の方言どこー。ここでもあぶれてる(苦笑
でも、福岡の方言って好きじゃないの。語尾が強すぎて。

今なぜか「ボスニアヘルツェゴビナ」がうかんできた。「語尾(ごび)」つながり。(何だそれ

僕の周りの人はボーカロイドの機械音声を理解はしてくれない。
けど、ヘタに売れてる歌手よりいい歌は多いと思うんだ。僕にとってはね。
ボカロの素直な歌声が大好き。透き通った高音が大好き。
ボカロのおかげで、僕は自信を持って歌えるようになったんだよ、って言ったら信じるかい?(笑

ところで、精神も安定を見てきたようだし表スタ学にリンク貼りなおそうかと思うんだけどどう思う?
あ、クロトキのつぶやき日記なんかほとんどの人は興味ない?サーセンw

いつも泣かせてばかりの僕だけど、その涙が悲しみの涙じゃなければいいなぁと思うのです。

・・・夢には行き損ねたけど、たまには露店上げて狩でもしようかなぁ。
そろそろ覚醒クエの材料も集めなきゃだし、集まる気なんかしないけど、紅玉にいこう。
さて、夢枕に立った人も紅玉4に来ればいいよ。これに気づけばね。(笑

06.03.16:07

室温30度。

・・・の羽毛布団の中、ものすごく幸せな夢を見ていた。
あぁ、幸せだったとも。だって夢の中でなら、会えるんだから。(苦笑
無邪気に笑う顔に少し救われて。

さて、着替えてから行こうか。汗でひどくぐしゃぐしゃだが、悪い気分じゃない。

06.02.12:37

リミッターが外れてしまったかのような。

考えることは楽しい。しかし掘り下げすぎてしまうのは、今非常に苦痛だ。

外に出さなければ中で膨張してしまう。
思いついたままに言葉を吐き出したくはないのに、ここに吐き出さなければ埋もれてしまう。
酷い言葉の羅列に、書くのをやめてしまいたいけど、書かなければストレスになる。

思い付きを出てくるだけ書いて、そして嫌悪する悪循環。良くない。

胸に手を当てる。
心臓の鼓動。
呼吸の運動。
僕の、体温。

フィーとの約束を守れなかった。彼女は拗ねて寝てしまった。

雨に打たれてぐしゃぐしゃになれば少しは晴れるだろうか。
何も聞こえないほどに音を大きくすれば、思考は止まるだろうか。

夢に現実的に苛まれる。
眠っているときですら、平穏はない。
久しく、綺麗な夢を見ていないような気がする。大量の針に貫かれた右肩がなんとなく疼く。

夢か、想像か。ライディアの薬屋の裏にはちゃんとクロレラがいた。

そうか、くだらない事を語り合う友がいなくなってしまったからだろうか。

06.01.22:22

「人間が好きかい?」

そう問われればYESと答えよう。
「人が好きかい?」と問うならばNOと答えよう。
この二つの言葉に明確な違いはない。ニュアンスというのか、イメージというのか。深くは気にしないで欲しい。
哲学するのは好きだが、哲学はあまり好まない。そういったものと似ている。

おそらく僕の方が世界が狭いという前提において、僕は親の考え方が気に入らない。

己がプライドと国を秤にかけて、プライドが、体裁が大事だという元首なんかさっさと消えればいい。
国民が困窮していると知りながら、己が地位・血筋・国家を守ろうとしている元首なんかさっさと消えればいい。
そんな風に、どこかの北の国を考える。

人という生き物は喧嘩の治め方は知っているのに、戦争の治め方は知らない。
原理は同じようなものだというのに、少し大きくなると途端に違うものに見えてしまう。
戦争ほど大きくなくてもいい。例を今思いつかないが、この現象は僕も体感するところである。

心の平穏の求め方を知っている人は世の中に大勢いるのに、それを知ろうとする人は少ない。
多くの人が本によって伝えようとしているのに、本当にそれを求めるべき人はそれを求めていない。
あれほど本屋に通っていて、本を探すアンテナがなかったのは僕が求めていなかったから。
しかしここ数ヶ月でどれほどの本が増えただろう。そのおかげで、どれだけ僕の心は軽くなっただろう。

「求めよ、さらば与えられん。」
この言葉の意味するところを勘違いしている人はどれくらいいるのだろうか。かくいう僕もそうだったが。
「求め、探せよ。そしたらいつの間にか見つかるからさ。」
しかも、探し始めてそんなに経たないうちに。

「思いやりがない」と誰かに語る人に、思いやりを見た記憶はない。
僕に思いやりがないと言い放った父親が、病気の母親に怒鳴る姿を見ている。
だから僕は、愛や思いやりは言葉で語れば語るほど薄っぺらく思うのである。
「愛してる」「好きだ」と言いながら、欲のために嫌だと言っている体を玩ぶ。

快楽は人格を破壊する。常々言っているが。
快楽を求めるあまり、人格崩壊を起こし、生活できなくなった人がどれだけいるだろう。
性交も、クスリも、僕は好まない。酒は、ある種自罰的なのでそれはそれで好まない。
人間的な、精神の快楽を僕は求める。それはあまりに単純で身近な場所にある。
あまりに近すぎるゆえに、気がついている人はどれほどいるだろう。
気がついている人が多ければ、本や歌には書かれていないはずだ。なぜなら知っていることを知る必要がないからだ。
社会の波は無情だ。人間的な感覚をあまりにも早すぎる時間によって気づかせてくれないのだから。

「感覚」や「感情」は、感じた瞬間にその人にとって事実となる。
それを否定することは、何人たりともできはしない。
否定できる人がいるとすれば、「水は冷えれば氷になる」という事実を否定できる人だと思っている。
これを読んでいるあなたは、どっちの人だろうか?

愛とは何か。それは100人いれば100人とも違う回答をするだろう。
もしくは幾人かはそれぞれ伝え合い、いくつかの集団でいくつかの答えを有するだろう。
僕にとって愛とはするものではない、もとい、出来るものではない。
僕は誰かに愛をあげることは出来ない。あげることが出来るのは心だけだ。
もしその心を渡した誰かの中に受け取ってもらえたら、その時に初めて愛が生まれると思っている。
漢字には成り立ちというものがある。正確なものとはおそらく異なるだろうが、上記の意味が分からなければ「心」「受」「愛」という字をペンで改めて書いてみるといい。僕の思う「愛」がきっと伝わると思う。
ただし、この答えもまた一つの例であって、押し付けるものではない。考えるのは、自由だ。


僕は幸せである。心をもらっているのだから。