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誰かの声が聞こえるんだ。君の名前を教えて?・・・よく聞こえないな、もっと僕のそばに来ておくれよ。もっと話をしよう。さぁ、おいで。姿を見せて。
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  • 04/07/09:11

05.20.13:43

会話。

頭の中でうだうだ考える癖のある僕は、嫌なことがあるとなんだかんだと理由を勝手につけて自分を言いくるめるようになった。
これが成長なのかどうかはわからない。ただ、昔より幾分、楽にはなったといえるのかもしれない。

話を聞くのは、少し苦しい。いや、少しどころじゃなく苦しい時もある。
それでも僕に話してくれるのは、向こうだって悩んでいるから。きっと僕の存在が無視できないから。
大事に、思ってくれているから。

そうじゃないなら、内緒で事を進めたって、与り知らぬところで結論が出ていたっておかしくない。
普通の、一般の、常識の考えならば、絶対に僕は選んでもらえないから。間違いなく。

幸せってなんなんだろう。
誰かの幸せは誰かの不幸せで、その逆もあって。
例えば僕がいなくなったとしたら、きっと一択で迷うことなんか、悩むことなんかないんだろう。
でもその悩みをそうやって取り払った時、僕の心はどこへ向かうんだろう。
幸せを願いながら、苦悩を与えている。僕の存在って一体。

全ての執着を無くしてしまえば、僕も悩むことなんかないのに。
でも全ての執着をなくした時点で、生きている価値はきっとなくなる。




・・・どうでもいいが、仏教の最終目標が輪廻からの解脱だとしたら、
チベット仏教のダライ・ラマさんは解脱できていないことになる。転生しているから。
チベット仏教の目指すところが違うんだろうか。それとも、ただ民衆が祀り上げている赤の他人なのだろうか。
幸せって、なんなんだろうな?
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05.19.14:04

ニーチェの言葉No.174。

日記を書いていた理由と、日記を書かなくなった理由を見つけた気がした。
そこに書かれているような高尚な人間になったつもりはないし、なれるつもりはないが、
きっとその文言の通りに、僕は辿っていたと信じたい。

活字が読めるようになりました。昔に比べて随分と。
加えて本に対する考え方が変わりました。本は欲しがって買うものではない。
評判が、広告が、誰が読んでるとか、そんなことは一切関係なんかなくて、
無意識に僕が気にした本は、僕の無意識が求めている言葉を必ず持っている。
だから、「読んでみたい」と意識して買った本には何も欲しいものはなくて、
ふと立ち止まった場所に置かれていた本に僕が欲しがっている何科が存在する。

ついでに言えば、その本たちはしばらく時が経って開いたときに、買った時とは別の欲しい言葉を持っている。

「超訳」シリーズが好きです。
本屋に行くならば誰もが一度は目にしたことがあるであろう「超訳 ニーチェの言葉」。
シリーズというからには複数あるんですが@ニーチェ・ゲーテ・ブッダ、
言葉自体は彼ら本人のそのものとは異なっているのは間違いありません。
ただ、それを解釈した結果の言葉が短く綴られているのがいいのです。
正直言えば、読むものではないと思っています。本なのに。
読むものではなく、見るもの、感じるもの。気合を入れて最初から読み進める性質のものではなく。

ここ数日、僕は疲れていました。何をする気にもならない、何も考えたくない。
愚痴を吐き、憂鬱になり、ふと、そんな感覚。
このまま戻らなかったらどうしよう、とか、先のどうにもならないこと、喪失や別離をあれこれ考える癖。
そういうときに開くと、たった一つかもしれない、ふと開いたページに思考を転換できる言葉がある。


・・・本当は、今さっき見えたのはNo.163なんだ。
考えるのは僕じゃない。僕はこれはできると、生涯かけて可能だと思っている。
僕に選択権はない。ぼくは、ただ、願うだけ。お願いするだけ。そばにいてって。

05.18.16:11

経典。

僕が持っていないもののために僕は大切なものを制度的に失ってしまうかもしれないけれど、

僕が持っていないもののために僕は愛され、大切なものの本当に大切なものを貰っている。

05.11.22:19

麺。

ラーメン食べながらこんばんは。やはり僕の味覚は九州じゃないような気がします。そんなかなり伸びたラーメン。
九州、まぁ福岡でラーメンを探そうとすると9割方とんこつばかりなんですが、僕は味噌が好きです。今食べてるのはサッポロ一番。
基本的にラーメンはどこに行っても柔らかめを頼むんですが、どうもこっちの人はカタ麺が好みのようですね。
とんこつのあのストレート麺を硬めだとか、バリカタだとか、人によっては何、ハリガネとか存在するらしいです。
さすがにハリガネは「らき☆すた」の歌の中でしか聞いたことないですが、あの半茹での粉っぽい麺のどこが美味しいんだろうと疑問でなりません。

かと思えば、九州のうどんは恐ろしく柔らかいんですよね。おはしで持つ前に切れるレベル。
あんなのうどんじゃねぇ、と讃岐うどん派の僕です。出汁はうまいんだけどね、出汁は。
かのタモリ氏もいいともで言ってました。「九州のうどんは飲むもんだ」と。

ラーメン硬めでうどん柔らかな九州と、ラーメン柔らかでうどん硬めの僕では、そりゃ味覚も合いませんな。
ということで本州行きたいです。この島から出て、いろんな食やらめぐってみたいです。

04.25.21:54

信用≠期待。

「期待していたのに裏切られた。」
親がよくこんなことを言う。それで人間不信になっているという。でも人を信じる努力をしているという。

信用と期待はまったく別のものだと思う。
期待は所詮自分本位でしかない。「~してくれるだろう」と、勝手に思っているに過ぎない。
自分の都合で相手に期待して、相手がしなかったことに対して裏切られたという。

お門違いもいいところだ。

最近荒れているが、具体的にどうだこうだとは全く話さない。
言わなくても分かってくれていると勝手に思って、意にそぐわなければ文句を言う。

その前の行動があるだろう、と。

人を信用しない親を持って育った結果、僕も人を信用しない人間になった。
安易な信用はできない。相手は自分が思った以上に自分が思っていることを知らない。
信用したい人間がいるのならば、あらゆる背信の可能性を潰しまくる必要があるだろう。
相手の信用も勝ち得ず、自分も信頼せず、期待だけして何が成功するというのか。

日本人の美徳は時として間違っている。
言わなくても伝わることは確かにあるかもしれない。
だからといって、伝えることを怠っていいことにはならない。
言い続けて、相手が聞かなくて、言うのを諦めて、「期待していたのに」だなんて、
勘違い甚だしいと思わないか。

言いたいことも言えない間柄なんて、そこに信用なんてカケラも存在していない。