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誰かの声が聞こえるんだ。君の名前を教えて?・・・よく聞こえないな、もっと僕のそばに来ておくれよ。もっと話をしよう。さぁ、おいで。姿を見せて。
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08.30.22:04

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  • 08/30/22:04

01.03.02:13

感情と欲求の意識化。

僕が今やるべきは、「行動」と「間違ったアイデンティティの破壊」である。

他人の言葉で、自己を理解する。
自分では気がつかないことを、自分と似た物が書いてある本によって、自分とはどういうものなのかを理解する。
非常に、痛い。当たり前だ。自分の「当たり前」が少しずつ崩されているのだから。

鴇・鷸・ドクター・るぅ・フィーメル・くー、彼らと分けたのは、感情と欲求。
故に、彼らが望むこと、やりたいこと、その感情と言葉。全てがほかならぬ僕自身の欲求であるのだと。
特にドクターには感謝をしている。「怒り」と「抵抗」を「論理」とともに僕に気付かせてくれた。
反抗してもいいのだと、つい最近気がついた。なるほど、こういうものが反抗期なのか、と今更。
兄が14~17くらいのころにとっていた行動と似たことを、し始めていることに気がつく。

思考しろ。なぜこういう行動を取っているのか。
思考しろ。なぜこういう考え方に至ったのか。
思考しろ。本当の「間違い」とはなんなのか。

他の人はどうだか知らないが、自分は奇妙な考え方をする時があるな、と思うことがある。
特に相手が初対面である場合に多い。

割と、歌うことには自信を持っている。が、僕よりも上手い人は五万といるし、聞かせるほどでもないと思ってはいる。
とあるカラオケの場で、話したこともない人というのが適当か、僕の歌を聞いた後に、「歌関連の活動は一切していないんですか?」と尋ねられた。
僕は自己満足であって、それほど上手いとは思っていない。
しかしその一言はある種「褒める」という行為である。
その人はニコニコの歌ってみた動画を聞いているような人らしいが、「歌活動は」というそれは僕が動画を上げるような人たちとある程度同列にいると評価したことを意味するものだと解釈する。

関わりのない人の、不意の一言。
「僕を持ち上げる義理はどこにもないよな」
「褒めたとして、その人が何を得することもないよな」
「ならば、それはその人にとって純粋に真実である」

その事実は、僕にひとつの自信を与えた。
好意というものとの接し方が分からないのでその時はうろたえてしまったが。
その一言が動画投稿の動機となった。

如何に僕が「人」と関わっていないか、もしくは心理上良くない関わり方しかしてこなかったかがわかる。
誤解がないように、これは僕の感じたものである、と付け加えておく。
ならば僕にとっていい関わりとは何か。それは僕が今断定できるものは何一つない。
ただ、確かなことは、「僕は僕の欲求によって動くべきである」ということ。
自分を制限する社会的な義務がない、ないと言い切れば少々誤解が生じそうだが、そんな今、感情と欲求に気がつき、多少なりと精神力も回復した今だからこそ、それを増幅させるためにも、動かなければならない。

躊躇いと、恐怖と。それを欲求によって超えなければいけない。

こういうことに気付くまでに、少々思考を止めている時間が長すぎたようだ。
本来の僕はなんだ。壊される前の僕はどこだ。
今、限りなくその近くにいる。そんな、感覚。

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