01.18.08:22
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05.27.23:37
迷い。
よく分からない感情が渦巻いている。
いや、恐らく分からないのではない。分かりたくないのだろう。
脳内で何かが否定したがるのだ。
僕の存在自体が既に常識の外にあるにもかかわらず、
僕の思考は常識の範囲から容易には出ることが出来ない。
感情が欠落した僕に、果たしてソレが存在するのかどうか。
確かめるべきなのか、そうしてはいけないのか。
きっと確かめたら確かめたで、何かが崩れていくような気もする。
これは僕の錯覚なのだ。そうしておいた方が、いいような気もする。
「親愛」。そう、親愛なのだ。僕が深く考えすぎているだけ。そう。考えすぎているだけ。
いや、恐らく分からないのではない。分かりたくないのだろう。
脳内で何かが否定したがるのだ。
僕の存在自体が既に常識の外にあるにもかかわらず、
僕の思考は常識の範囲から容易には出ることが出来ない。
感情が欠落した僕に、果たしてソレが存在するのかどうか。
確かめるべきなのか、そうしてはいけないのか。
きっと確かめたら確かめたで、何かが崩れていくような気もする。
これは僕の錯覚なのだ。そうしておいた方が、いいような気もする。
「親愛」。そう、親愛なのだ。僕が深く考えすぎているだけ。そう。考えすぎているだけ。
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05.24.16:00
我が子がポルカたんを描いてみたpart2。
あまりにビフォーアフターだったので。
別に隠してもないですが、トキシギは二人とも絵を描きます。
今回のスタコンでPCの絵、とあったので、久々にトキが鉛筆を持ったようです。
どうやら彼も普段からちょいちょい鉛筆を持っていたらしく、上達していました。
コレが以前の。2009年5月13日。

で、今回の。おそらく出品すると思います。

スキャナ通したわけじゃないので若干荒いのはご愛嬌。学祭分はもう少し補正かけようと思います。
二年ってすごいですねぇ。
シギも絵を描くので「アニーさんを描くかい?」と鉛筆を渡してみたのですが、「アニーはヤだ」と首を振っておりました。
気にしていないように見えて、まだ彼の存在は大きいようですね。
別に隠してもないですが、トキシギは二人とも絵を描きます。
今回のスタコンでPCの絵、とあったので、久々にトキが鉛筆を持ったようです。
どうやら彼も普段からちょいちょい鉛筆を持っていたらしく、上達していました。
コレが以前の。2009年5月13日。
で、今回の。おそらく出品すると思います。
スキャナ通したわけじゃないので若干荒いのはご愛嬌。学祭分はもう少し補正かけようと思います。
二年ってすごいですねぇ。
シギも絵を描くので「アニーさんを描くかい?」と鉛筆を渡してみたのですが、「アニーはヤだ」と首を振っておりました。
気にしていないように見えて、まだ彼の存在は大きいようですね。
05.21.00:06
ヒトガタ師とヒトガタ。
それはもともと人形なのか、それとも。

ジョシュのプロフ絵を更新しました。正確な意味で、やっとジョー君のプロフ絵になりました。
上のは加工前の全身図です。描いてみたら案外足長さんに見えました。(笑
比べて分かるかもしれませんが、実はルフェリアの方が若干身長があります。
・・・ついでに久しぶりにデスクトップの壁紙を変えました。↑に。
背景の発光具合が若干眩しいです(笑
ジョシュのプロフ絵を更新しました。正確な意味で、やっとジョー君のプロフ絵になりました。
上のは加工前の全身図です。描いてみたら案外足長さんに見えました。(笑
比べて分かるかもしれませんが、実はルフェリアの方が若干身長があります。
・・・ついでに久しぶりにデスクトップの壁紙を変えました。↑に。
背景の発光具合が若干眩しいです(笑
05.20.13:43
会話。
頭の中でうだうだ考える癖のある僕は、嫌なことがあるとなんだかんだと理由を勝手につけて自分を言いくるめるようになった。
これが成長なのかどうかはわからない。ただ、昔より幾分、楽にはなったといえるのかもしれない。
話を聞くのは、少し苦しい。いや、少しどころじゃなく苦しい時もある。
それでも僕に話してくれるのは、向こうだって悩んでいるから。きっと僕の存在が無視できないから。
大事に、思ってくれているから。
そうじゃないなら、内緒で事を進めたって、与り知らぬところで結論が出ていたっておかしくない。
普通の、一般の、常識の考えならば、絶対に僕は選んでもらえないから。間違いなく。
幸せってなんなんだろう。
誰かの幸せは誰かの不幸せで、その逆もあって。
例えば僕がいなくなったとしたら、きっと一択で迷うことなんか、悩むことなんかないんだろう。
でもその悩みをそうやって取り払った時、僕の心はどこへ向かうんだろう。
幸せを願いながら、苦悩を与えている。僕の存在って一体。
全ての執着を無くしてしまえば、僕も悩むことなんかないのに。
でも全ての執着をなくした時点で、生きている価値はきっとなくなる。
・・・どうでもいいが、仏教の最終目標が輪廻からの解脱だとしたら、
チベット仏教のダライ・ラマさんは解脱できていないことになる。転生しているから。
チベット仏教の目指すところが違うんだろうか。それとも、ただ民衆が祀り上げている赤の他人なのだろうか。
幸せって、なんなんだろうな?
これが成長なのかどうかはわからない。ただ、昔より幾分、楽にはなったといえるのかもしれない。
話を聞くのは、少し苦しい。いや、少しどころじゃなく苦しい時もある。
それでも僕に話してくれるのは、向こうだって悩んでいるから。きっと僕の存在が無視できないから。
大事に、思ってくれているから。
そうじゃないなら、内緒で事を進めたって、与り知らぬところで結論が出ていたっておかしくない。
普通の、一般の、常識の考えならば、絶対に僕は選んでもらえないから。間違いなく。
幸せってなんなんだろう。
誰かの幸せは誰かの不幸せで、その逆もあって。
例えば僕がいなくなったとしたら、きっと一択で迷うことなんか、悩むことなんかないんだろう。
でもその悩みをそうやって取り払った時、僕の心はどこへ向かうんだろう。
幸せを願いながら、苦悩を与えている。僕の存在って一体。
全ての執着を無くしてしまえば、僕も悩むことなんかないのに。
でも全ての執着をなくした時点で、生きている価値はきっとなくなる。
・・・どうでもいいが、仏教の最終目標が輪廻からの解脱だとしたら、
チベット仏教のダライ・ラマさんは解脱できていないことになる。転生しているから。
チベット仏教の目指すところが違うんだろうか。それとも、ただ民衆が祀り上げている赤の他人なのだろうか。
幸せって、なんなんだろうな?
05.19.14:04
ニーチェの言葉No.174。
日記を書いていた理由と、日記を書かなくなった理由を見つけた気がした。
そこに書かれているような高尚な人間になったつもりはないし、なれるつもりはないが、
きっとその文言の通りに、僕は辿っていたと信じたい。
活字が読めるようになりました。昔に比べて随分と。
加えて本に対する考え方が変わりました。本は欲しがって買うものではない。
評判が、広告が、誰が読んでるとか、そんなことは一切関係なんかなくて、
無意識に僕が気にした本は、僕の無意識が求めている言葉を必ず持っている。
だから、「読んでみたい」と意識して買った本には何も欲しいものはなくて、
ふと立ち止まった場所に置かれていた本に僕が欲しがっている何科が存在する。
ついでに言えば、その本たちはしばらく時が経って開いたときに、買った時とは別の欲しい言葉を持っている。
「超訳」シリーズが好きです。
本屋に行くならば誰もが一度は目にしたことがあるであろう「超訳 ニーチェの言葉」。
シリーズというからには複数あるんですが@ニーチェ・ゲーテ・ブッダ、
言葉自体は彼ら本人のそのものとは異なっているのは間違いありません。
ただ、それを解釈した結果の言葉が短く綴られているのがいいのです。
正直言えば、読むものではないと思っています。本なのに。
読むものではなく、見るもの、感じるもの。気合を入れて最初から読み進める性質のものではなく。
ここ数日、僕は疲れていました。何をする気にもならない、何も考えたくない。
愚痴を吐き、憂鬱になり、ふと、そんな感覚。
このまま戻らなかったらどうしよう、とか、先のどうにもならないこと、喪失や別離をあれこれ考える癖。
そういうときに開くと、たった一つかもしれない、ふと開いたページに思考を転換できる言葉がある。
・・・本当は、今さっき見えたのはNo.163なんだ。
考えるのは僕じゃない。僕はこれはできると、生涯かけて可能だと思っている。
僕に選択権はない。ぼくは、ただ、願うだけ。お願いするだけ。そばにいてって。
そこに書かれているような高尚な人間になったつもりはないし、なれるつもりはないが、
きっとその文言の通りに、僕は辿っていたと信じたい。
活字が読めるようになりました。昔に比べて随分と。
加えて本に対する考え方が変わりました。本は欲しがって買うものではない。
評判が、広告が、誰が読んでるとか、そんなことは一切関係なんかなくて、
無意識に僕が気にした本は、僕の無意識が求めている言葉を必ず持っている。
だから、「読んでみたい」と意識して買った本には何も欲しいものはなくて、
ふと立ち止まった場所に置かれていた本に僕が欲しがっている何科が存在する。
ついでに言えば、その本たちはしばらく時が経って開いたときに、買った時とは別の欲しい言葉を持っている。
「超訳」シリーズが好きです。
本屋に行くならば誰もが一度は目にしたことがあるであろう「超訳 ニーチェの言葉」。
シリーズというからには複数あるんですが@ニーチェ・ゲーテ・ブッダ、
言葉自体は彼ら本人のそのものとは異なっているのは間違いありません。
ただ、それを解釈した結果の言葉が短く綴られているのがいいのです。
正直言えば、読むものではないと思っています。本なのに。
読むものではなく、見るもの、感じるもの。気合を入れて最初から読み進める性質のものではなく。
ここ数日、僕は疲れていました。何をする気にもならない、何も考えたくない。
愚痴を吐き、憂鬱になり、ふと、そんな感覚。
このまま戻らなかったらどうしよう、とか、先のどうにもならないこと、喪失や別離をあれこれ考える癖。
そういうときに開くと、たった一つかもしれない、ふと開いたページに思考を転換できる言葉がある。
・・・本当は、今さっき見えたのはNo.163なんだ。
考えるのは僕じゃない。僕はこれはできると、生涯かけて可能だと思っている。
僕に選択権はない。ぼくは、ただ、願うだけ。お願いするだけ。そばにいてって。
